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  • ダークサイドに落ちる男のメカニズムを脳内物質を引用しながら科学的に解説してみる

    ダークサイドに落ちて赤いライトセイバーを握る

    おはようございます。

    mikioです。どうも。

    最近、なぜか人間のダークサイドについて考えることが多いです。

    たぶん邦画の【いぬやしき】を見たせいでしょう。

    佐藤健(敬称略)演じる高校生、獅子神 皓ししがみ ひろの、闇へ落ちていく転落っぷりに共感できてしまうのは、彼がただのサイコパス野郎じゃないからです。

    優しい一面を持ってるからです。

    そこに、獅子神 皓ししがみ ひろのキャラクターとしての魅力があると思ってます。

    その辺に関しては、以下に音声として記録してあるので、時間があれば聞いてみてください。

    ※妻と子供が寝静まった時間帯にしか録音できる時間がなくて、いつも以上にボソボソ喋ってます。

    しかも録音がうまくいかなくて、途中で切れちゃってます。聞きづらかったら、ごめんね。

    なぜ10代の少年は【怒り・憎しみ】に支配されやすいのか?その理由はテストステロンにあり

    さて、なんで彼らのような男達が、ダークサイドへと落ちるような不安定さを抱えているのか?

    なぜ、共通して10代の青少年なのか?

    これは科学的な根拠を持って、説明できてしまいます。

    結論から言うと、【テストステロン】という男性ホルモンに、一因があります。

    そもそも男の子ってのは、胎児の時にテストステロンが大量に分泌されるようになってます。

    そして、10歳前後〜17歳前後にかけて、再度、テストステロンが大量に分泌される時期があるのです。

    この辺から、声変わりとか、単独行動を好むようになったりします。

    男性ホルモンとか言われるくらいですから、このテストステロンという脳内物質は、攻撃性とリンクしています。

    生き物として、オスという性別が、自分の身内を外敵から守る役割を果たしてきた歴史を鑑みると、テストステロンの分泌は、自然な成り行きだと言えますよね。

    闘わないと、身内が傷付くことになりますから。

    で、そんな感じで人体の構造は変わらないまま、文明は著しく発展を遂げていて、価値観なんて常に変わり続けている状況です。

    そうすると、男の体の発達過程と、社会通念上の圧力同士に折り合いがつかなくなって、体と常識が乖離します。

    アンパンマンにすら、「子供に暴力を助長するアニメだ」とか、批判する人が居るような世の中ですよ。

    そんなもん、欺瞞でしかないのに。

    参照記事:アンパンチ論争から人間の暴力性について紐解いてみる

    青少年は、次第に自分の内部から肥大化してくる、攻撃性に気付くことになります。

    それに関しては、嫌悪感を抱く人から、すんなり受け入れられる人まで、様々ですけど。

    いずれにしろ、「優しいことが美徳である」という、世間から押しつけられた価値観との狭間で、青少年は、ますますイライラする訳ですよ。

    しかも、10代ってのは比較的、脳の前頭全野が未発達な状態にあることから、感情の制御が利かなくなる瞬間が多くなる訳です。

    ちなみに、前頭前野が最も成熟する時期ってのは、30〜60代の頃だそうです。

     

    このことから、優しい一面を持っていた青少年が、些細なキッカケ1つでダークサイドに引っ張られてしまうのは、何も不思議なことではないんですよ。

    恋人を失うことの恐れから、ボタンの掛け違い1つで、憎悪に支配されてしまったアナキンのように。

    つまり、少年は誰しも、ダースベイダーになり得る素質を持ってるのです。

    愛ゆえに増大する憎しみはオキシトシンにも理由がある

    ダークサイドに落ちて暴走する少年は、怒りを原動力にして反撃に出ます。

    あくまで反撃なんですよ。

    なんの理由もなく、突発的に怒りの感情が湧いてくる。

    なんてことは、まず無い筈です。

    キッカケとなる何かがなきゃ、無闇やたらと怒れやしないでしょう。

    それは、例えるなら

    • 16号の顔をセルに踏み潰された時の、孫悟飯のように。(ドラゴンボール)
    • 一郎彦の手によって、後ろから剣で熊鉄が刺された時の、九太のように。(バケモノの子)

    愛ゆえに、それを脅かしたヤツを「殺す」という破壊衝動が生まれる訳です。

    タモリ(敬称略)の言う「戦争がなくならない理由」が、まさにコレ。


    「戦争がなんで終わらないか考えたことあるか?」って。

    「いや、ないっすね。なんでなんですか?」って聞いたら、「愛があるからだ」って言うんですよね。

    その心は、恋人がレイプされたら犯人に仕返ししたくなるだろう、と。

    大切なものが壊されたら、大切なものを壊した相手を恨むだろう、と。

    そこに愛さえなければ、恋人のことを大切だと想っていなければ、

    レイプ犯にやり返しに行かないし、壊した相手を恨むこともない。

    ラブアンドピースっていうのは矛盾していて、ラブさえなければ、基本ピースで、戦争なんて存在しない。

    植物がそうじゃないか。って。

    植物の世界にあるのは、生命が自然環境によって淘汰される世界だ。と。

    植物はだって戦争なんかしないじゃないか。

    でもそれはそれでなぁ。

    僕らは感情があるから、感情がある以上、愛がある。

    愛がある以上、戦争はなくならない。

    これはむずかしい問題だぜ、西野。さぁどうする?

    出典:タモリが語った戦争がなくならない理由/西野亮廣

    で、これも【オキシトシン】という脳内物質を用いると、説明がつくんですよね。

    オキシトシンのダークサイドによって起こる外集団バイアス

    オキシトシンってのは、別名、愛情ホルモンとも呼ばれています。

    愛情とか言うくらいだから、なにやら良い事にのみ作用すると思いがちです。

    でも実際は、そうでもない。

    オキシトシンによって、愛情とか、親近感といった感情が高まるのと同様に、憎しみのような、ダークサイドへといざなう感情も高まってしまうのです。

    それこそ、オキシトシンにもダークサイドがあるのです。

    この辺は、以下の一文でしっくりきました。

    別に他人のしたことであれば、不倫しようが何をしようが「男だったらしょうがないよ」と思い、女性が不倫していたら「寂しかったんだね」と思うことはあるけれど、自分のパートナーだから「許せない!」という気持ちになるのと同じです。

    その「許せない!」という気持ちの原因が、愛情ホルモンのオキシトシンなのです。

    出典:キレる!/中野信子

    [itemlink post_id=”13822″]

    これって、まさに夫婦関係にも該当するなぁと思いました。

    好きだからこそ、その感情は憎しみにも転化する可能性がある。

    参照記事:BUMP OF CHICKENのリボンに学ぶ!【離婚したい】って1度でも思った人が読む記事

    参照記事:【会話が苦手な内向型人間のあなたへ】夫婦関係は話ができないと話にならない

    よく、インディーズ時代から追っかけていたバンドがメジャーデビューした時に、「遠くへ行ってしまった」的な感覚を抱くのも、オキシトシンの影響なのかもね。

    確かに、あらゆるコミュニティにも、「この仲間は認めるけど、異質なものの存在は認めない」っていう圧力が働く感じって、心当たりありません?

    そして、この原理を上手いこと利用したのが、ヒトラーなんじゃないかな。

    アーリア人というコミュニティに一体感を持たせる為に、ユダヤ人という仮想敵を作った。

    漫画で読破【わが闘争】のヒトラー

    出典:わが闘争 (まんがで読破)

    [itemlink post_id=”13831″]

    オキシトシンにはテストステロンを抑える効果がある

    ちなみに、【子供の「脳」は肌にある】という本でも述べられていましたが、オキシトシンとスキンシップは密接な関係にあります。

    [itemlink post_id=”13134″]

    参照記事:【子供の「脳」は肌にある】を読んで学んだスキンシップの心理的効果

    柔らかいものとか、ふわふわしたものを触ってるだけで、オキシトシンが増えるのです。

    例えば、肌触りのいい肌着と、そうでない肌着を着た状態でオキシトシンの量を比較したら、肌触りのいい肌着を来た状態の方が、オキシトシンの量が増えたっていう実験結果もあります。

    オキシトシンには、テストステロンを抑える効果もあるし、前頭前野が育つように働きかける役目もあります。

    つまり、つまりですよ。

    何が言いたいかっていうと、闇落ちしそうになっている男にとって、【おっぱいの柔らかさこそが、心を救う】っていう話です。

    いや、ふざけてませんからね。

    俺はいたって本気ですからね。

    「ちょっ…!痛っ!誰だー!!石投げたヤツー!!」

    はい、といった結論で、この記事は締めさせていただきます。

    ジェダイの力は、フォースから導かれる。

    暗黒面に気をつけろ。

    怒り恐れ破壊

    フォースの暗黒面は、そこから生まれる。

    瞬く間にそれはお前を虜にし、一度暗い道に入り込んだが最後、永久にお前の運命を決定することになる。

    ちょうど、オビワンの弟子がそうであったようにの。

    出典:STAR WARSエピソード5(帝国の逆襲)/ヨーダ

  • ルフィがベラミーの喧嘩を買わなかった理由は傍観者だったから

    ハイエナのベラミー

    出典:ONE PIECE/25巻/85p

    ONE PIECEの24巻で、ハイエナのベラミーという男が登場します。

    初登場時は、実利主義者であり、【その他大勢】の化身のような人物でした。

    夢の宝より、足元の利益を追求する男。それがベラミー。

    [itemlink post_id=”10654″]

    ONE PIECEに喧嘩売る度胸も無いから

    ベラミーの実利主義

    出典:ONE PIECE/24巻/162p

    ベラミーは海賊を名乗りながら、当事者でない。

    既に、傍観者的な発言をしています。

    つまり、自分の信念の旗を掲げる戦いに、参加すらしてないんですよ。

    言い換えると、最初から諦めてるんです。

    だから、ルフィとベラミーは、同じステージにすら立ってない訳です。

    これは所謂、ベラミーのルサンチマンだったりもするのかなと感じます。

    何故なら、ベラミーも結局は空島へ赴くからです。

    参照記事:ルサンチマンって誰だよ!?

    傍から見れば、荒唐無稽に見えるようなルフィの戦い方にも、実はルフィなりの筋が通っています。

    確か何処かで、ロビンがルフィの事を「彼は意志の無い戦いはしない人よ」って言ってたと思うんですけど、ルフィの喧嘩には、基本的に意志があります。

    上の画像にもあるように、いつも熱くなる筈のルフィが、今回のベラミーに絡まれたエピソードでは、異様な程、冷静に佇んでいるんですよね。

    秘策だと行ったよな!!?熱くなるなとも行ったぞ!!?

    出典:ONE PIECE/76巻/129p

    この事から、精神的なスケールが違い過ぎたって事が、ベラミーとルフィ、2人の温度差からも、窺い知る事が出来ますよね。

    この時点で、勝負になってない。

    ルフィが戦う動機って、基本的に【自由を脅かす支配者に抗う】っていうパターンが多いんですよ。

    これはルフィが、「誰よりも自由なヤツが海賊王だ」と定義している点からも明らかです。

    ルフィにとって海賊王とは、自由の象徴なんですよ。

    世界一の海の王者になろうと、勝ち上がってきたルフィからすれば、幾らベラミーに笑われて、焚付けられようが、既に戦う事を諦めてる程度の男に対して、戦意なんて持てないって事ですよね。

    簡単に言えば、眼中に無いって話です。

    例えば、ルフィが冒険を進めた新世界の入り口、シャボンディ諸島で、最悪の世代と呼ばれる海賊のルーキーが集結した時の話。

    その時点で、懸賞金の一番高かったキッドが、「ワンピースはおれが見つけるぞ」って、臆面もなく言うルフィに、「この先は…それを口にする度胸のねェ奴が死ぬ海だ」って言う訳ですよ。

    ワンピースはおれが見つけるぞ

    出典:ONE PIECE/52巻/59p

    この先は...それを口にする度胸のねェ奴が死ぬ海だ

    出典:ONE PIECE/52巻/60p

    つまり、ルフィがベラミーの喧嘩を買わない理由は、喧嘩を買う理由がないからです。なんかトートロジーになっちゃいましたが。

    ルフィなりの倫理規範に基づくなら、ONE PIECEに喧嘩売る度胸も無い海賊に、怒りを買う理由がない。

    クリケットも、ベラミーをこう捉えてます。

    幻想に喧嘩売る度胸もねぇヒヨッ子」だと。

    クリケットの捉えるベラミー

    出典:ONE PIECE/24巻/100p

    【負けるが勝ち?】肉体的な痛みよりも男としての尊厳を重視する

    ベラミーVSルフィ「このケンカ絶対買うな」

    出典:ONE PIECE/24巻/100p

    血だらけにされてるにもかかわらず、ルフィは【喧嘩を買わない】っていう選択を取る。ゾロもそれに従う。

    読者からすれば、ナミと同様の心境になりますよね。「なんでやり返さないの?!」と。

    ここ、めっちゃフラストレーションなんですよねー。これがあるから、オチのカタルシスが跳ね上がる。

    その描写によって見えて来る、ルフィとゾロの、男としての品格、スケール感。

    如何に彼らが、生き様を重視しているかがうかがい知れますよね。

    まるで、肉体が傷付けられた事なんて、取るに足りない出来事だと言わんばかりに。

    では此処で、武士道で語られている勝海舟の話を、以下に引用します。

    ここで、先年亡くなった勝海舟の言葉に耳を傾けてみよう。

    彼はわが国激動の時代を生き抜いた人物だが、当時は暗殺や切腹などの血なまぐさい出来事が日常茶飯事だった。

    海舟は独裁的な権力を持っていた時期もあり、たびたび暗殺の目標とされた。

    しかし、彼自身はその刀を血で汚すことはなかった。

    彼は思い出話をある友人に語っているが、その中で、彼らしい庶民的な語り口でこんなことを言っている。

    「私は人を殺すのが大嫌いで、ひとりも殺しちゃいない。首をはねたほうがいいようなやつでも放っておいた。あるとき友人の河上 彦斎がこんなことを言った。『あんたは人を斬らなすぎる。あんただって、芥子やら茄子やらを食べるだろう?』ってね。芥子や茄子に劣る人間もいたからね。だが、河上は殺されちまった。私が殺されずにすんだのは、殺すのが嫌いだったからかも知れんよ。刀の柄をきつく鞘に結びつけて、簡単に抜けないようにしといたんだ。斬られることはあっても、斬ることはすまいと覚悟を決めてたのさ。ああ、もちろん、のみや蚊みたいな連中もいて、ちくちく刺してはくるよ。しかし、刺されたからってどうってこたあない。ちっとばかりかゆいが、それだけのことだ。命に関わりはしないよ

    これが、苦難と勝利とが入り混じって燃え盛っている炉のような時代にあって、武士道教育の真価を問われながら生き抜いてきた人物の言葉である。

    出典:武士道/新渡戸稲造

    上記のように、ルフィもゾロも、この時の認識としては、ただ痒かっただけなのかも知れませんね。

    ルフィとゾロの野望は、強さを拠り所としたところにあるので、平和を理想としてるとは思えませんが、結果的には【負けるが勝ち】の態度になってますよね。

    負けるが勝ち」という有名なことわざがある。

    本当の勝利というのは、むやみに攻めてくる敵に抵抗しないことによって得られるという意味である。

    また、「最上の勝利は、血を流すことなく勝つことだ」という言葉もある。

    他にも同じような格言がたくさんあるが、要するに 武士道における究極の理想は平和だということである。

    かえすがえすも残念なのは、この高邁な理想が、もっぱら僧侶や道学者が説教するだけのものになってしまい、さむらいたちは軍人らしさを尊び、追い求め続けたことである。

    出典:武士道/新渡戸稲造

    参照記事:【武士道】2020年東京オリンピックに向けて日本人が知っておきたい大和魂の源流【ONE PIECEで解説】

    ルフィと黒ひげの共通点

    ONE PIECEの24巻では、ルフィと黒ひげが初対面するシーンがあります。

    2人の価値観が対極にある事を、以下の2コマで示唆されていますね。

    このこのチェリーパイは格別にうめぇ(マズイな)!)

    出典:ONE PIECE/24巻/142p

    ところが、以下のシーンでは、【夢】という観点に於いて、ルフィと黒ひげ。

    2人の見ている未来が一致している事が、明示されるんですよ。

    人の夢は終わらねぇ

    出典:ONE PIECE/24巻/178p.179p

    ルフィも、黒ひげも、両者共に、男として純粋なものを持ってますよね。

    黒ひげって、巨大なイカダで海を進んだりと、やってる事が豪快過ぎるから、一見バカみたいに見えるけど、頂上戦争を引き起こした張本人ですからね。

    黒ひげは、白ひげの能力を奪う手段の為だけに、エースを落として、七武海に成り上がった訳で。

    用が済んだら、速攻で七武海の称号を捨てて、一気に四皇にまで駆け上がった男です。

    常に目的からの逆算で動いている、策略家ですよ。

    やり方は非道ですが、それはそれでカッコイイ。THE海賊って感じ。

    今の戦いはそいつらの勝ちだぜ

    出典:ONE PIECE/24巻/p

    【黒ひげ】と【ゾロ】が語る傍観者への態度

    黒ひげの見解

    出典:ONE PIECE/24巻/p

    傍観者程、人を見下し、嘲笑する。

    この黒ひげのセリフは、野心家への鼓舞であり、その他大勢の傍観者に対するアンチテーゼでもある。

    例えば、悔しいっていう感情があります。

    それを持つ事になるのは、それ程真剣に、参加して来たからです。

    何も感じないのは、何も試みてもいない傍観者だったからなんですよ。

    それを知ってたら、真剣に矢面に立ってる人間を笑う事なんて、できないですよね。

    ルフィは、シャンクスを知ってるんです。そこに行きたいんです。大海賊を超えたいんです。

    ゾロの見解

    出典:ONE PIECE/24巻/p

    このシーンで、ゾロの認識は最早、大人と子供くらいの精神的な視座の違いがあるって事が解ります。

    「同情しか残らねぇ」って、言ってる時点で勝ち負けの次元に無いですよね。

    ファイト! 闘う君の唄を

    闘わない奴等が笑うだろう

    ファイト! 冷たい水の中を

    ふるえながらのぼってゆけ

    出展:ファイト!/中島みゆき

    ルフィは仲間の自由を脅かす奴をぶっ飛ばす

    ルフィが【仲間】とか【友達】だと定義する人。

    その基準は、かなり緩いように見えます。

    すぐに「友達だ!」とか言っちゃう。結局、先の話で、ベラミーにも友達だと言っちゃうんですよね。

    その点は、なんか幼稚と言うか、アホっぽいと言うか。

    でも、その定義の範疇にある人の自由が奪われる時、ルフィは反撃する。

    ベラミーを一撃で地面に沈めたのも、クリケットが潜水病になる程に、海に潜り続けて手に入れた金塊を奪われたから。

    ベラミーVSルフィ

    出典:ONE PIECE/24巻/118p

    ベラミーVSルフィ「パンチの打ち方を知ってるかって?」

    出典:ONE PIECE/24巻/123p

    ベラミーを一撃で倒すルフィ

    出典:ONE PIECE/24巻/124.125p

    近代に活躍したフィンランドの作曲家が、こんな事を言っています。

    批評家のいうことに決して耳を傾けてはいけない。

    これまでに批評家の銅像が建てられたためしはないのだから。

    出典:ジャン・シベリウス

    そういうことです。

  • 「…なにも!!!なかった!!!…」【武士道】の観点からONE PIECEを読み解く【ゾロ】が死ぬ程カッコいい理由(スリラーバーク編)

    mikioです。どうも。

    キングオブジャンプ漫画、ONE PIECEも現在、100巻を超えて爆進中です。

    [itemlink post_id=”14315″]

    なんだか、毎回思うんですが、ずっとONE PIECEが続いている事への有り難みを感じます。

    なにせ、小学生の頃に買った下敷き、未だに持っていますからね。

    ONE PIECEの下敷き

    こんな風に

    • 好きな漫画の連載が続いている事
    • 好きなバンドが解散せずに続いている事

    これって、すごく喜ばしい事じゃないですか?

    何故なら、それが続く事って、簡単な事じゃないからです。

    大好きな【あの感じ】にまた逢えるってのは、それを命懸けで続けてくれている人が居るからです。素敵な事です。

    終わりが薄っすらと見えてきたけれど、まだまだ麦わらの一味のカッコイイ生き様を見ていたい!

    さて、そんな男の漫画ONE PIECEですが、50巻で描かれるゾロの姿がカッコ良すぎるのです。

    [itemlink post_id=”10255″]

    今回は、以下の記事を前提に

    参照記事:【武士道】2020年東京オリンピックに向けて日本人が知っておきたい大和魂の源流【ONE PIECEで解説】

    野暮な男mikioが、粋な男であるゾロのカッコ良さを考えてみます。

    では、あらすじを見てみましょう!

    Left Caption

    mikio

    ゾロー!!好きだー!!

    【50巻】スリラーバーク編クライマックスのあらすじ

    スリラーバークと云う名の島で、七武海の一人であるゲッコー・モリアに辛くも勝利した麦わらの一味。

    ルフィはいつも通り、痛みも疲労も、その限界を突破するような戦い方をしてぶっ倒れます。

    スリラーバーク編の無茶をするルフィ

    出典:ONE PIECE/50巻/19p

    ところが、七武海を一人落としたのも束の間、目の前にもう一人の七武海、バーソロミュー・くまが立ちはだかり、麦わらの一味は、ボロボロの状態で連戦を強いられる事になります。

    ルフィは既に気絶しています。

    バーソロミュー・くまの指名は海賊狩りのゾロ

    スリラーバーク編のくまと対峙するゾロ

    出典:ONE PIECE/50巻/49p

    Left Caption

    mikio

    この構図好き。

    「全員抹殺」との政府の特命を受けた、【暴君】の通り名を持つ、七武海のくま

    先ずは海賊狩りのゾロを名指しし、戦闘が始まります。

    スリラーバーク編のゾロ(言い訳したらどなたか助けてくれんのかい?)

    出典:ONE PIECE/50巻/50p

    バーソロミュー・くまの悪魔の実の能力は、【ニキュニキュの実の肉球人間】

    知らない人からすれば、「は?可愛いね」ってなりますよね。

    なんだか全体的にふざけた存在ですけど、実力は本物。

    肉球によって、あらゆるものを弾き飛ばす能力の持ち主なのです。

    例えば、大気とか。

    これが後の、ゾロが【死ぬほどカッコイイ】シーンを成立させる為に、重要な設定となります。

    ダメージがデカすぎるゾロは太刀打ち出来ず

    案の定、全く勝負にならない状況で

    「…やはりこれだけ弱りきったお前達を消したところで何の面白みも無い…」

    と、残したくまは、ある条件を提案します。

    それは【船長の首を差し出す事】です。

    スリラーバーク編(船長の首を差出せ)

    出典:ONE PIECE/50巻/63p

    勿論、麦わらの一味の答えは「NO!

    立ち所に、大気を圧縮した衝撃波で、麦わらの一味は全員、島ごと吹き飛ばされます。

    その瓦礫の中から、気絶しているルフィを見付け、くまが掴み掛かったその瞬間。

    ゾロが不意打ちを仕掛けます。

    鉄をも斬る居合技、【獅子歌歌 (ししそんそん)です。

    しかし、なんと、くまは無傷。

    しかも、くまの傷口から、彼がサイボーグである事が判明するのです。

    スリラーバーク編(勝ち目無し)

    出典:ONE PIECE/50巻/76p

    ルフィへの忠義を示すゾロの【筋】

    ゾロは此処で、ある覚悟を決めます。

    スリラーバーク編(身代わり)

    出典:ONE PIECE/50巻/77p

    このシーンは、【武士道】の観点から見れば、【勇】に基づく言動だと言えます。

    何故なら、苦肉の決断とは言え、ゾロは自らの【義】の為に、自分が死ぬ時は、今だと判断したからです。

    参照記事:【武士道】を形成する七つの徳目 /【勇】

     

    スリラーバーク編(船長一人守れねぇでてめぇの野心もねぇだろう)

    出典:ONE PIECE/50巻/77p

    ゾロには野望がある。それは世界一の剣豪になる事

    しかし、ゾロにとって、今此処で船長1人すら守れない程度の実力では、世界一の剣豪になんて、なれない事と同義。

    だから此処で、自分の死と引き換えに、一味を護ろうとしました。

    自分が死ぬべき時は今だと、悟ったのです。

    ゾロは、水の都ウォーターセブン編で、こんな台詞を残しています。

    ウォーターセブンのゾロ

    出典:ONE PIECE/45巻/151p

    船長であるルフィと、狙撃手のウソップは、ウォーターセブンと云う島で、ボロボロになってしまった麦わらの一味の船、ゴーイングメリー号を巡って、大喧嘩をしました。

    メリー号はこれまでの冒険で、船の心臓部、竜骨に致命的なダメージが蓄積していた為、ウォーターセブンの船大工でも直せないと、診断を下されたからです。

    此処で船を乗り換えると、決断したルフィに対し、ウソップが大激怒。

    ウソップの「メリー号を想う気持ち」 VS ルフィの「船長としての決断」が衝突。

    そしてウソップは、船長のものであるメリー号を引き取る為に、ルフィに決闘を申し入れ、一撃で倒される。

    お互いに、引き下がれない想いがあり、すれ違い、ウソップは一味を辞めました。

    この辺の人間ドラマには、生々しいリアリティがあって、読んでる方も、なんとも苦しい気持ちになります。

    ウォーターセブンのゾロ

    出典:ONE PIECE/45巻/152p

    このように、ものの道理を重視する男が、麦わらの一味に居たからこそ、この海賊団は自由そうでいて、信頼、統制が保たれている。

    此処は、とてもゾロらしいシーンだと思います。

    そしてゾロのこの時の、船長に対する哲学を体現しているシーンが、以下のシーンと云う訳です。

    スリラーバーク編(ルフィは海賊王になる男だ)

    出典:ONE PIECE/50巻/78p

    ONE PIECE史上初めて、ゾロがこの言葉を口にしました。

    まるで、主君への【忠義】を果たす、武士のようです。

    死に際に、ゾロの本心が垣間見えた瞬間だったんだと感じます。

    スリラーバーク編(ゾロに地獄を見せる)

    出典:ONE PIECE/50巻/80p

    バーソロミュー・くまは、ゾロの覚悟を認め、ルフィの痛みをニキュニキュの実の能力で、ルフィの体から取り出します。

    僅かな痛みの破片でさえ、あのゾロが、のたうち回る程の巨大な痛みの塊です。

    ルフィがぶっ倒れるまで蓄積して来たダメージを、文字通り、ゾロが身代わりになって全てを受ける事を課しました。

    致死量の痛みを全て引き受けるゾロ

    スリラーバーク編(船長の痛みを全て受け止めた)

    出典:ONE PIECE/50巻/85p

    死に至る程のルフィのダメージを、文字通り身代わりに受け、仁王立ちでゾロはこう言います。

    スリラーバーク編のゾロ(何も無かった)

    出典:ONE PIECE/50巻/85p

    超カッコよくないですか?この【痩せ我慢】!!

    敬意で、みぞおちがギューってなります。

    これまでのゾロの行動により、その場に居合わせた全員の命が救われたのです。

    ゾロとくまの【恥】に対する意識

    今回の【ゾロVSくま】の戦いの中で、2人の【恥】への意識が垣間見れます。

    此処で言う、【恥】について考えてみます。

    例えば、あなたが「裸になって街を歩け」と言われて実際に歩かなければならなくなった場合、普通に恥ずかしいですよね。

    それは普段、服を着て、街を歩いているからです。

    いや、寧ろ「裸になって歩きたい」って人も、中には居るでしょうけど、それは置いといて。

    じゃあ、その【恥ずかしい】と、どう違うのか?なんですよ。

    此処には、微妙なニュアンスの違いがあるように思えてならない。

    何故、先述した男2人は、【恥をかく事】を避けようとするのか?

    語弊を恐れず言えば、【その方が格好良いから】ですよね。

    これは最早、男としての美学であると。

    この辺は、もう少し掘り下げてみたい心理なので、考えが纏まり次第、追記していきますね。

    ↓↓↓ちなみに、ぼくもマンガを描いたので読んでみてください↓↓↓

    オリジナルマンガ:新鮮組(タップしてね)

  • 日本人なら知っておきたい【武士道】の源流を【ONE PIECEでわかりやすく解説】

    新渡戸稲造

    mikioです。どうも。

    今回は、原著の【武士道】2冊(岬龍一郎訳)(関岡孝平訳)と、漫画でライトに解説されている【武士道】の、延べ3冊を読んでみました。

    そこから見えて来た、「武士道って何なのか?」について、此処で整理してみます。

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    日本のサムライ文化は、海外の人にとっては、知名な文化の1つと言えます。

    例えば、スター・ウォーズの生みの親、ジョージ・ルーカス(敬称略)は日本好きです。

    従って、黒澤明(敬称略)の作品に、多くの影響を受けていると言われています。

    ジェダイの騎士は、日本の【時代劇】の【ジダイ】に由来している。と云う説が一般的です。

    その為、ライトセーバーに対するジェダイの騎士の精神性と、刀に対する武士道の精神性とは、類似したものがあります。

    新渡戸稲造の【武士道】が執筆された背景

    【武士道】が執筆された経緯には、以下のような契機がありました。

    10年ほど前、ベルギーの高名な法律家で、今は亡きド・ラブレー氏のお宅に数日滞在し、温かいおもてなしを受けたことがあった。

    ある日2人でいつものように散歩していると、話題が宗教のほうへと向かった。

    「今何とおっしゃいましたか?」と敬愛する教授は尋ねた。

    「日本の学校には宗教の教育がないということでしょうか?」

    そうですと答えると、教授は驚いて足を止めた。

    そして、今でも耳から離れない声音で、重ねてこう聞いた。

    宗教がない! だとしたら、いったいどうやって道徳を教えるんですか?

    この質問に私は意表を突かれ、とっさに答えを返すことができなかった。

    というのも、子どもの頃私が学んだ道徳というのは、学校で教わったものではなかったからである。

    出典:武士道/新渡戸稲造

    この出来事から、新渡戸稲造は自らが封建社会のもとで生きた者として、約10年の月日を掛けて、日本人の道徳教育の本質を分析する事になります。

    更に、当時の日本、新渡戸稲造を取り巻く状況として、以下のような背景がありました。

    1868年、江戸城が無血開城し明治維新を迎えた日本は、欧米諸国に進出してグローバル化の波にさらされていた。

    そして、日清戦争と日露戦争を経験すると、アジアから初めて世界の列強と肩を並べる国が出てきたと、世界的な注目を集めはじめる。

    しかし、それと同時に、日本人は奇妙で、野蛮な民族だと数々の無理解と偏見の目で見られることになった

    出典:現代語新訳 世界に誇る「日本のこころ」3大名著/関岡孝平

    その誤解に対し、日本の文化を世界に伝える為に執筆された本の一つが、【武士道】でした。

    従って、日本語ではなく、英語で書かれています。

    更に、そこに書かれている内容は、海外の偉人による思想、名言等、引用のオンパレードです。

    英語で書かれた論文で、尚且つ、新渡戸稲造のこの博識な筆致。

    もうこれだけで、【野蛮な民族だ】と云う蔑視、先入観は払拭された事でしょうね。

    そりゃそうですね。後の旧5千円札の人ですからね。

    日本人なら、誰もが知った顔の人だったりしますからね。

    丸いメガネにヒゲの人。

    因みに現在5千円札の人は樋口一葉です。

    その結果、【武士道】は英語に留まらず、ドイツ語、ポーランド語、フランス語、ノルウェー語、ハンガリー語、ロシア語、イタリア語など多くの国で翻訳される、世界的なベストセラーとなりました。

    しかも、アメリカの大統領、セオドア・ルーズベルトが、自ら【武士道】を読み、かつ友人に配ったと云うエピソードもあります。

    個人的には、この引用の多用ですが、却って読みにくかった印象を残しました。

    勿論、それらについての知識があれば、理解も促進されたのだろうとは思います。

    ただ、僕のように浅学な人間には、よく解らない引用を多用されても、結局は、余計によく解らないのです。

    これは単に勉強不足なだけので、個人的な問題でしかないんですけども。

    さて、先述したグローバル化の波にさらされている点に於いては、正に、現代の日本人に重なる状況とは言えませんでしょうか。

    味噌汁’sの、【にっぽんぽん】と云う曲のフレーズのような気持ちで、これからオリンピックを迎える日本人。

    そして、四方を海に囲まれた島国、日本。その独自の文化的背景。

    この辺で、母国である日本人のルーツくらいは、改めて知っておきたいじゃないですか?

    僕は日本人 君は外国人

    そんなに目を見つめないでよ

    ハイタッチばかり求めないでよ

    約200年も鎖国してたんだ

    人一倍の人見知りなんだ

    おかしなテンションのままに

    戦争したらコテンパンにやられたんだ

    そんな幼気な僕ら かわいがってね

    世界中の皆さん どうぞよろしくね

    出典:にっぽんぽん 味噌汁’s/ジョン次郎

    大和魂のベースとなる【武士道】の定義

    日本人の道徳観念を、形成してきたと言われている【武士道】について。

    そもそもに於いて、武士道とは、誰か特定の偉人が決めたものではなく、武士社会の成長と共に育まれました。

    まるで、お酒や醤油のように、時間を掛けて醸成されたものだと言えます。

    武士道とは(中略)せいぜい口伝で受け継がれたものか、著名な武士や学者の筆から生まれた、いくつかの格言によって成り立っている事が多い。

    いや、それはむしろ不言不文の語られざる掟、書かれざる掟であったというべきであろう。

    出典:武士道/新渡戸稲造

    それだけに、【武士道】の明確な定義は無いようです。

    武士道(ぶしどう)は、日本の近世以降の封建社会における武士階級の倫理・道徳規範及び価値基準の根本をなす、体系化された思想一般をさし、広義には日本独自の常識的な考え方をさす。

    これといった厳密な定義は存在せず、時代は同じでも人により解釈は大きく異なる。

    また武士におけるルールブック的位置ではない思想である。

    一口に武士道と言っても千差万別であり、全く異なる部分が見られる。

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    【武士道】の起源に対しても、明確な時と場所を指す事は出来ず、封建制の時代の中で自覚され始めたものだとしか言えないようです。

    封建制度とは

    因みに封建制度とは、一言で言うと【土地を介した主従関係】の事です。

    これは農業が、産業の中心となっている事が前提の仕組みです。

    但し、日本とヨーロッパでは封建のニュアンスが違うようですね。

    そして、封建制度を基盤とする社会から、日本人の美徳とされる、滅私奉公の価値観が根付くようになったと言われています。

    滅私奉公とは

    私利私欲を捨てて、主人や公のために忠誠を尽くすこと。

    「滅私」は私利私欲を捨てること。

    「奉公」は国や社会などの公、または、主人や主君・上位の者などに自分の身をささげて尽くすこと。

    出典:goo辞書/四字熟語

    この封建制度ですが、最終的には江戸幕府の崩壊後、明治維新によって否定されました。

    それでも、封建社会によって刷り込まれ、美化された滅私奉公の意識は、未だに日本人の精神性に根付いている。

    何故なら、空気を読むとか。日本人は働き過ぎだとか。そんな話に繋がって来るからです。

    過労死なんて、その弊害の典型のようなものです。

    海外の人からすれば、異質な話ですもんね。

    【武士道】を形成する七つの徳目

    明確な定義が無い、と云う意味に於いて、曖昧な認識であった日本人の大和魂を、体系的に言語化しようと試みたものが【武士道】なのだと解釈しています。

    新渡戸稲造の【武士道】で、メインとなっている論点は、七つの徳目です。

    【武士道】はどんな特徴を持ち、どのようなことを教えようとしているのか

    これを、【義】【勇】【仁】【礼】【誠】【誉】【忠義】の観点から、解説しています。

    【義】

    【義】ってのは、武士にとって最も厳格な徳目です。

    何故なら、面目を重んじる武士にとって、卑劣で、不正な振る舞い程、忌まわしいものは無いからです。

    真木和泉守(敬称略)は、「武士の重んずるところは節義である」と述べています。

    節義とは

    節操と道義。人としての正しい道を踏み行うこと。

    出典:デジタル大辞泉(小学館)

    節義とは、人の体で言うと、だと。

    骨が無ければ首も正しく載っていられないし、手も動かず、足も立たない。

    つまり、才能や学問があっても、節義が無ければ武士ではない。と云う事です。

    それ程、武士にとってのバックボーンになる徳目なのだと言えます。

    【勇】

    【義】と【勇】は、七つの徳目の中でも、双子のような関係にあります。

    両者共に、男性的な武徳だからです。

    【勇】とは、自分の【義】に反する事に対して、躊躇いもなく命を懸ける事です。

    例えばそれは、以下の記事で紹介した、ONE PIECEのルフィのような行動の事を指します。

    参照記事:「これしかやらねぇ」VS「これしかできねぇ」/3コード

    但し、死に値しないものの為に死ぬ事は、所謂【犬死】であり、それは【勇】ではなく、【匹夫の勇】とされ、蔑まれました。

    「戦場に飛び込み、討ち死にするのは容易く、身分の賤しき者にも出来る。生きるべき時に生き、死ぬべき時にのみ死ぬ事こそ、真の勇気である。」

    と述べたのは、あの有名な水戸黄門(敬称略)だったりします。

    この為、武士は少年の頃から【大義の勇】と【匹夫の勇】の区別を学びます。

    【義】と【勇】を実行する為には、その根拠となる、肉体の鍛錬が必要です。

    それ故、武士は【文武両道】を目指していました。

    ONE PIECEの、トラファルガー・ローも言ってますね。

    弱ェ奴は死に方も選べねぇ」と

    ロー「弱ぇ奴は死に方も選べねぇ」

    出典:ONE PIECE/67巻/107p

    厳密には、ドフラミンゴの言葉のようですが。

    ドフラミンゴ「弱ぇ奴は死に方も選べねぇ」

    出典:ONE PIECE/76巻/128p

    この記事では言及しませんが、男の死に様については、武士の【切腹】の話に繋がってゆきます。

    武士にとって【切腹】は、名誉ある死に方だったのです。

    つまり、生きるべき時に生き、死ぬべき時に死ぬ事を、全う出来るって訳です。

    【仁】

    先述した【義】と【勇】が、男性的な徳目とするならば、【仁】は女性的な徳目と言えます。

    例えば、【武士の情け】は、この【仁】の精神に由来するものです。

    戦国大名の伊達政宗は

    仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。

    と言ってます。

    「甘さと辛さのバランスよく考えて!よろしく!」的な。

    なんか、ファッションの甘辛mixみたいな話です。違うか。

    また、武士道に影響を与えた【儒教】の思想家、孟子は

    仁は人の良心なり、義は人の道なり

    と述べています。

    つまり【仁義】ですね。

    これは【儒教】に於いて、最も重んじられている根本理念です。

    この【仁義】って言葉、昭和のヤクザものの映画などと、密接に繋がって来るイメージがありませんか?

    ヤクザ絡みの言葉って、本来の意味とは捻じ曲がった使い方となって定着しているので、よく知らないと、調べたところで却って混乱します。

    この【仁義】に関しても、【仁義を切る】と言って、初対面の相手に対する挨拶の意味が含まれます。

    「お控えなすって」と、掌を返して、腰を低くさせるアレです。

    【男はつらいよ】の寅さんもやってますよね。

    こんなヤツ↓

    (昔、職場の同僚が退職する時に頼まれた似顔絵)

    お控えなすって

    これは、お辞儀の辞儀が転じて、【仁義】になったのだとか。

    現代で言うところの、名刺交換のようなものですね。

    先述したように、ヤクザの世界って、この古代中国の思想、【儒教】がベースになっていると言われています。

    例えば、【儒教】ってのは、子が親を敬う事を重んじる思想なんですよね。

    ヤクザの世界も同様です。以下のように

    伝統的な親子盃の儀式で

    実の親があるのに今日ここに親子の縁を結ぶからには、親が白といえば黒いものでも白といい・・・

    という口上が述べられるように、子分は親分に対して絶対的に服従し、親分は子分を我が子のごとく保護する家父長主義的な関係が求められる。

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    ONE PIECEで度々登場する、(さかずき)の描写は勿論、これがモチーフです。

    Left Caption

    mikio

    この辺の話も、いつか記事として整理したいんですよね。

    従って、【仁義なき戦い】ってのは、この【仁義】が無いって事です。

    盃を交わした筈の親子や兄弟が、私利私欲の為に、不誠実な態度を取るって事です。

    滅私奉公の逆ですね。

    ONE PIECEで言うと、ルフィがエースを助けに行かない。とか、そればかりか殺してしまう。みたいな話なのです。

    【礼】

    礼は、その最高の形においては、ほとんど「愛」に近づく。

    出典:武士道/新渡戸稲造

    礼ってのは、思いやりを型にしたもの。つまり、所作の事です。

    最善の方法というのは最も経済的で最も優雅な方法である。

    イギリスの哲学者スペンサーは

    優雅さとは最も経済的でむだのない動きのことだ」と言っている。

    日本の茶の湯では、茶碗や茶杓、ふくさなど、それぞれについて取扱いかたが厳密に定められている。

    茶の湯を知らない者にとって、それは退屈以外の何ものでもないが、一度経験すれば、その定められた方法が結局最も時間と労力にむだのない方法であることがすぐに分かる。

    つまりは最も経済的な力の使いかたであり、したがって、スペンサーの定義によれば、最も優雅な方法だということになる。

    出典:武士道/新渡戸稲造

    「優雅さとは経済的な力の使いかたである」という説が正しいとすれば、論理的な帰結として、いつも優雅に振る舞っていれば、力が節約されて蓄積していくことになる。

    美しい所作というのは、したがって、力を持っていながら、それを休ませている状態である。

    出典:武士道/新渡戸稲造

    一切は誠に始まり、誠に終わる。誠がなければ、何もないに等しい

    孔子がそう言ったように、礼儀正しさも、【誠】が伴わなければ単なる茶番。

    他者を思いやる気持ち。

    所謂、【オ・モ・テ・ナ・シ】ですね。

    これが内側から滲み出る所作。

    それこそが【礼】であるって話です。

    でも僕は、逆だと思っていて、基本的に人間は出力重視で設計されているので、所作によって優雅な精神性を呼び込むのではないかと。

    つまり、所作は優雅さ(心の豊かさ)のスイッチになる。

    【誠】

    【誠】と云う言葉は、言った事を成すと書きます。

    つまり、有言実行の事ですね。

    【武士の一言(いちごん)】と云う言葉があります。

    これは、以下のような話。

    武士がいったん口にすれば、決して違えることはないということである。

    武士の言葉にはそれほどの重みがあり、武士の約束は証文なしで交わされ、かつ履行された。

    証文を取り交わすなどというのは武士の面目にかかわることだった。

    「 二言」、つまり二枚舌を使ったことによって、死をもって償わなければならなくなった武士の空恐ろしい話がいくつも残されている。

    出典:武士道/新渡戸稲造

    そういえば、ONE PIECEの61巻に、三枚舌のデマロ・ブラックってのがいたなぁ。

    偽物の麦わら海賊団

    出典:ONE PIECE/61巻/90p

    デマロ・ブラック

    出典:ONE PIECE/61巻/155p

    話が逸れましたが、武士にとっては、誠実さと名誉とが最も確かな保証でした。

    だからこそ、【武士に二言はない】事に、説得力が生まれるのです。

    武士に二言はないとは

    武士は信義と面目を重んじるものだから、一度口にしたことばを取り消したり、約束を破るようなことはしないということ。

    出典:故事ことわざ辞典

    これが転じて、「男に二言はねぇ」って話に繋がっています。

    日本史上最強の剣客集団【新撰組】が、シンボルとして掲げた【誠】の旗は、主君に対する【忠義】と、【誠に生きる】と云う信念が込められていました。

    【誉(ほまれ)】

    【誉】は、換言すると面目の事でもあり、それは逆に言うと、を知るって事です。

    これはONE PIECEの世界でも、重要なキーワードとなっています。

    【顔を立てる】とか、【面目】とか、【恥をかく】とか。

    正義の面目丸潰れ

    出典:ONE PIECE/79巻/149p

    例えば、格好が付く格好が付かない。って言い回しを見ていると。

    男が【格好良いもの】に憧れるのは、潜在的に、【誉】の精神がそれを求めているからなんじゃないか。

    なんて思いました。大袈裟ですかね。

    ただ、これが度を過ぎると、以下のような話になってしまう訳です。

    ひとりの町人が武士に対して「背中をのみが飛び跳ねている」と親切心から注意したところ、ただちに一刀両断されたという。

    その理由というのが、何とも言いようのないばかばかしいもので、のみというのは動物にたかる寄生虫であり、誇り高き武士を獣扱いするのは許しがたい侮辱だというのである。

    出典:武士道/新渡戸稲造

    まぁ、分別のある武士なら、刀を抜くべき時くらいはわきまえている筈です。

    上記のように、正しく刀を扱えない者は、腰抜けか、虚勢を張る者でしかないとされていました。

    その上、ちょっとしたことで腹を立てる者は、「気短者」と言われ、馬鹿にされていたんです。

    ONE PIECEの1巻で

    「そいつ(ピストル)は、脅しの道具じゃねぇぞ」

    って、シャンクスが言っていたのを思い出します。

    武士は、富よりも名誉を重んじる性質を持っています。

    武士道や騎士道は経済原理とは無縁であり、むしろ貧しいことを誇りにする。

    シェイクスピアの『アントニーとクレオパトラ』の登場人物、古代ローマの武将ヴェンティディウスは次のように言い放つ。

    「功名心は武人の美徳ではあるが、その名を汚すような勝利を得るくらいなら、むしろ敗北を選ぶ」

    出典:武士道/新渡戸稲造

    武士道が節約を旨としていたのは事実であるが、それは経済的な理由からではなく、節度ある生活を送るためであった。

    贅沢は人間の最大の敵と考えられ、さむらいは極度に質素な生活を送ることが求められた。

    出典:武士道/新渡戸稲造

    恥を逃れ、名を得るためなら、さむらいの子はどんな貧困でも甘んじて受け、どんなに厳しい肉体的精神的試練にも耐えた。

    出典:武士道/新渡戸稲造

    武士にとって贅沢は、人格に悪影響を与えると考えられていました。

    従って、どんな武士でも、基本的には一汁一菜の質素なランチだったそうな。

    さて、この面目と、その裏にあるに対する意識は、1つのキーワード。

    【痩せ我慢】に通ずるものがあります。

    例えば以下の、ことわざ。

    武士は食わねど高楊枝とは

    武士は貧しくて食事ができなくても、あたかも食べたかのように楊枝を使って見せる。

    武士の清貧や体面を重んじる気風をいう。また、やせがまんすることにもいう。

    出典:デジタル大辞泉

    昔から、一つだけ確信していたのは、男の美徳は【痩せ我慢】にあると云う点です。

    従って僕は、大の男が、体調不良や痛みを伴う時に、「あー」とか「うー」とか、周囲に大袈裟なアピールをする人に対して、【気持ち悪い】と思ってしまう価値観の持ち主です。

    【男は黙って】って、クールポコも言ってるじゃないの。

    これも巡り巡って、間接的に武士道の影響を受けていたんでしょうか。

    涙を流したり、声をたてたり、ともかく感情を外に出すのを禁じられて育った少年少女を想像してみてほしい。

    医学的な見地から見たとき、そんなふうにして育った少年少女の心は鋼のように強くなるのだろうか、あるいは逆に感じやすくなるのだろうか。

    さむらいにとって、感情を顔に出すのは男らしくないことだと考えられていた。

    「喜怒哀楽を表に出さない人」というのは、優れた人格者をほめる決まり文句であった。

    愛情という、人にとって最も自然な感情すらも抑えるのが当たり前であった。

    出典:武士道/新渡戸稲造

    自分で選んだのか、いつの間にか刷り込まれていたのか、いずれにしろ、感情の抑制に対する美徳は、上記に由来する価値観の1つですね。

    【忠義】

    【忠義】ってのは、主君に対する献身的な態度を指します。まさしく滅私奉公の精神。

    しかし、この【忠義】ですが、奴隷のように抑制・従属を強いられている訳ではありません。

    飽くまで、武士自身の【義】に値するものに対して、主体的に忠義心を示す事なのです。

    以下にあるように、主君の命令を、盲信する事ではないのです。

    自分の良心を捨ててまで、主君の気まぐれや戯れ、思いつきに従う者は、武士道では低い評価しか与えられなかった。

    そういう家臣は「 佞臣」、すなわち恥知らずなこびへつらいによって主君に取り入る卑屈な家臣として、あるいは、「 寵臣」、すなわち奴隷のようなお追従で主君の寵愛を勝ち取る家臣として軽蔑された。

    出典:武士道/新渡戸稲造

    例えば、自分が親だったら、子供の為なら死ねるって思えるような、感情が芽生える筈。

    種の保存を基盤とした、動物に予め備わっている行為。一般的に言われる【愛】のようなものが、【忠義】のベースにはある。

    以下の曲は、「死んでもいい」とか言ってるけど、【あなたと一緒に生きたくてしょうがない】って気持ちを歌ってるのだと、僕は解釈しています。

    あなたがこの世界に一緒に生きてくれるのなら

    死んでもかまわない あなたのために

    あなたがこの世界に一緒に生きてくれるのなら

    月まで届くような翼で飛んでゆけるのでしょう

    出典:駆け抜けて性春

    銀杏BOYZ/峯田和伸

    因みに、この曲をカラオケで歌うとドン引きされます。構わず歌うけど。

    そして【忠義】は男性のみの徳目ではなく、当時の女性にも同じ事が言えました。

    所謂、内助の功とはこの事。

    女性が夫や家、家族のために身を捨てることは、夫が主君や国のために身を捨てるのと同じように自発的に行われ、また名誉なこととされた。

    あらゆる生命活動の謎を解くための鍵となる自己犠牲の精神が、男の主君に対する忠誠心を貫く基調音であったと同じように、女性の家庭に対する献身を貫く基調音でもあった。

    男が主君の奴隷でないのと同じように、女性は男性の奴隷ではなく、女性が果たす役割は「内助」すなわち「内側からの助け」と認識されていた。

    出典:武士道/新渡戸稲造

    ONE PIECEで言えば、麦わらの一味は、漏れ無く船長であるルフィに対して、忠義心があると言ってもいい。

    でもルフィは、仲間を支配して従わせてるわけではない。みんな勝手に慕ってるだけ。

    ウソップのルフィへの想い

    出典:ONE PIECE/61巻/46p

    刀への感情移入は武士にとって【崇拝】の域

    武士にとって、そのものである大小2本の刀は、基本的に腰から離れる事はありません。

    武士道では、が力と勇猛さの象徴であった。

    イスラム教の始祖マホメットは「剣は天国への鍵でもあり、地獄への鍵でもある」と言ったが、これは日本人の思っていることを代弁したようなものである。

    いつもそばを離れない同志として、武士は刀に愛着を持ち、それぞれに名前をつけさえした。

    敬愛を通り越して、刀は崇拝の対象にまでなった。

    出典:武士道/新渡戸稲造

    刀に名前ってのは、BLEACH的ですね。【斬月】とかね。

    この辺の発想、久保帯人(敬称略)は武士道から着想を得たんでしょうか?

    まぁそれはいいとして、此処でのポイントは、刀への愛着が崇拝レベルの武士にとって、刀に対する無礼は、その持ち主に対する侮辱と見做される点です。

    ごくありふれた短刀でさえ、しかるべき敬意を払う対象であった、それを侮辱するのはその持ち主を侮辱することと同じである。

    万が一、床に置かれた刀を不注意にもまたいでしまったら、どうなるか?――ご愁傷様と言うしかない。

    出典:武士道/新渡戸稲造

    この事から、武士同士がすれ違う際、互いの鞘同士がぶつかる事は失礼な事として認識されていました。

    それを悪用して、故意に鞘当てを行って、難癖をつけた者もいたそうですよ。

    因みに、日本が左側通行なのは、当時の制度をそのまま継承したものだそうで、鞘当てによる斬り合いを避ける為だったとか。

    これはNHKの番組、【チコちゃんに叱られる!】で紹介されてましたね。

    例えば、尾田栄一郎の読み切り作品集、【WANTED】に鞘当ての描写があります。

    [itemlink post_id=”5970″]

    【WANTED】鞘当て

    出典:WANTED/尾田栄一郎/114p

    【WANTED】鞘当て

    出典:WANTED/尾田栄一郎/115p

    【WANTED】鞘当て

    出典:WANTED/尾田栄一郎/115p

    余談ですけど、鞘当ての定義を見てたら【恋の鞘当て】と云う言葉がありました。

    恋の鞘当て

    一人の女性をめぐって、恋する2人の男性が争うこと。

    「昔、彼とは恋の鞘当てをした間柄でね、この妻がその本人ですよ」

    〔語源〕一人の遊女をめぐって2人の武士が争うという歌舞伎(かぶき)の題材から。

    「鞘当て」は、路上で行き違った武士が、相手の鞘が自分の鞘に触れたことをとがめ立てること。

    転じて、つまらぬことから起こったけんかの意。

    出典:ルーツでなるほど慣用句辞典

    要するに、「私の為に争うのはもうやめてー!!!」って言う、アレですね。

    お笑いの、ちょっとしたボケみたいなヤツ。

    今更【武士道】を読み通した理由

    今回、【武士道】を読んでおきたいと思った理由は、2つあります。

    1つは、【ONE PIECE】に登場する男達の生き様を、読み解きたいからです。

    もっと言うと、男ってなんなのか?を知りたいからです。

    もっと言うと、自分がカッコイイと感じた男の生き様、死に様を見た時に、何故感動したのか

    これを論理的に、把握したいからです。

    此処について自覚的になれれば、これから先、自分の感動に対しても自覚的になれる。

    参照記事:格好良い大人が見据えているものの正体が解ってしまった

    参照記事:NHK Eテレの番組【ろんぶ〜ん】で紹介された感動の論文が面白かったので考察してみた

    【ONE PIECE】の感動を綴るには、【武士道】は、必ず前提となる知識となる筈です。

    男として、戦って死ぬ事が最早ほとんど無いと言える現代で、そのヒントが潜在するのは歴史にあります。

    そこに【武士道】があったと。

    もう1つは、デザインに通づるものがあるからです。

    デザイン トークス+(プラス)と云うNHKの番組を見ていると、結構、温故知新的なアプローチが多くて、人間にとって心地の良いものって、過去の文化・生活の中にあるんだなと、感じています。

    日本的なデザインとは?

    そんな問いを立てると、必然的に過去に遡る事になるのです。

    そこに【武士道】があったと。