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  • the pillowsは「ずっと待ってる」鍵だらけの部屋にこもった少年時代の【キミ】のことを

    the pillowsのバスターくんステッカー

    おはようございます。mikioです。どうも。

    僕には、BUMP OF CHICKENに並び、中学時代から好きなバンドがいます。

    それが、2019年に結成30周年という節目を迎えた重鎮バンド、【 the pillows】です。

    最近だと、CMで女性ボーカリストのUruにカバーされてて、Funny Bunnyが脚光を浴びてましたね。

    アクエリアスのCMで流れるUruのFunny Bunny

    いや、まぁFunny Bunnyは確かにキャッチーで、いい曲なんだけども。

    the pillowsの魅力ってのは、他の曲にこそ宿ってると思ってます。

    やっぱ、個人的には90年代のthe pillowsが熱いです。

    今回はその辺を、勝手に語っていきます。

    因みに、UruはFunny Bunnyだけじゃなくて、YouTube上にバンプのカバー、rayとかも歌ったりしてます。

    関連記事:Soundcore Liberty 2 Proは低音好きリスナーの最適解!聴いててロックバンドの色気が増すワイヤレスイヤホンだった

    the pillowsは弱者の体裁を纏った強者の唄を歌う

    the pillowsの何がいいかって、山中さわお(敬称略)の歌詞に滲み出る、気高さなんですよね。

    「売れた」「売れない」といった、下世話な話をするなら、the pillowsは業界のメインストリームにいたバンドではないです。

    【ハイブリッドレインボウ】という曲から、【雨上がりに見た幻】という曲の文脈を見れば、それは痛いほど感じられます。

    結果的に弱者の立ち位置にはいるけど、でも、「それでも俺は」っていう、強い意志。

    the pillowsの曲の中には、そんな、毅然とした気概を感じます。

    例えば、男1匹、結果を出すまで、誰にも理解されない。みたいな状況。

    そんな世界に突っ込んでいく人間は、必ず世間からはみ出したところで抗う期間があります。

    そのまま突き抜けるのか、力尽きて横たわるのか、結果はどうあれ、当人は誰にも見えない闇の中を行くわけです。

    ストレンジカメレオンという曲のワンフレーズにあるように、孤独と自由は、抱き合わせだから。

    孤独だとか、孤高だとか言うと、一匹オオカミ的な響きになるけど、別にそんなカッコイイもんではなくて。

    結局はただ、うまくやれなくて、下手くそなまま、うだうだやってる、うだつの上がらない男が、ただ虹を待ってるっていう。

    なんだかその、あの場所に行きたいけど、行けないまま。な人にとって、シンパシーを感じずにはいられない世界観が、the pillowsの曲には広がっているのです。

    つまり、漫画家を目指していた10代、20代の僕にとって、the pillowsの音と言葉は、正義の味方なんかよりもずっと心強かった。

    誰もが忘れても 僕は忘れたりはしないぜ

    世界が笑っても 自分を疑わない

    時代が望んでも 流されて歌ったりしないぜ

    全てが変わっても 僕は変わらない

     

    出典:Fool on the planet

    the pillows/山中さわお

    君を待ってたんだ!【thank you my twilight】

    山中さわおの曲には、「待ってる」とか、「待ってた」とかいった、クソみたいな日常を耐え忍んでいる描写が多いです。

    誰かと待ち合わせてるみたいに

    見えたなら間違いじゃない

    キミを待ってたんだ

    出典:Thank you,my twilight

    the pillows/山中さわお

    ブルース・ドライブ・モンスター

    憂鬱な世界を踏み潰してくれないか

    ずっと待っている

    出典:Blues Drive Monster

    the pillows/山中さわお

    僕の解釈だと、the pillowsは、【君を待ってる】バンドなんですよね。

    で、【キミ】ってのは誰か。

    それは、まだ会った事は無いけど、どうしても逢いたい人のことです。

    当人にとっての恋人なのか。或いは、未来の理想の自分なのか。

    そういうのは、聴く人が都合よく可変させればいいと思います。

    いずれにしろ、そんなキミに出会う明日を待ってると。

    Can you feel

    Can you feel that hybrid rainbow

    ここは途中なんだって信じたい

    I can feel.

    I can you that hybrid rainbow.

    昨日まで選ばれなかった僕らでも

    明日を待ってる

    出典:ハイブリッドレインボウ

    the pillows/山中さわお

    「ずっと待ってたんだ」って、そう言える瞬間を待ちながら、ずっと一人で耐え忍んでいる。

    もし、そんな心境に、心当たりがあるのなら、the pillowsは必聴なんですよ。

    誰かになりたいわけじゃなくて今より自分を信じたいだけ

    僕には、ずっとモヤモヤしてたことがありました。

    それが、【自分を疑わないこと】と、【自分を疑うこと】の関係性です。

    矛盾するんですけど、どっちも必要なことだと思うんですよ。

    以下の記事で述べましたが、【疑うこと】は哲学の本質であり、基本スタンスです。

    参照記事:哲学は疑いを原動力とする人類至上初の学問

    僕が、the pillowsの山中さわおに教わったことは、【自分を疑わないこと】の方のスタンスですね。

    この軸ありきで、哲学的なスタンスを取り入れて、ヘーゲルの弁証法的に改善を繰り返す。

    つまり、最近は、この2つを意識的に使い分ければいいんだ、という考えに至っています。

    僕のイメージだと、eastern youth(イースタンユース)の吉野寿(敬称略)や、the pillowsの山中さわおのような人。

    所謂、「俺は俺」「お前はお前」みたいな思想が強い人。

    この考え方って、あんまり日本ぽくなくて、西洋的な個人の思想に近しいものがありますね。

    どう転んだって俺は俺

    どんな俺だって俺は俺さ

    出典:ソンゲントジユウ

    eastern youth/吉野寿

    基本的にロックってものは、多様性に対して寛容的です。包容力が桁違いなのです。

    息苦しい同調圧力の働く日本でも、それは例外ではない。

    闇さえも、歌ってしまったら、結果的に聴き手が光を見るっていう、面白い構造を持ってるんですよね。

    僕の理想の人間関係って、「好きにしろよ」と。「俺も好きにやるから」と。そんな感じなんですよね。

    で、やっぱロックやってる人は、そういうスタンスの人が多い。だからロックバンドが好きなんだよなぁと。

    the pillowsのメンバーって、いつの間にかもう、50代ですからね。

    それでも尚、the pillowsとしてのスタンスは崩れない。

    こんなカッコイイ大人がいると思うと、ほんと心強いですよ。

    では、最後に、僕の1番好きな曲を貼って終わります。

    審査員は自分自身の他に誰も要らない

    出典:New Animal

    the pillows/山中さわお

    関連記事:強いヒーローへの【変身!】それは子供が押す非日常へのスイッチである

  • ポエムを真っ二つに分断したい【恥ずかしい自己陶酔vs美しい共感】

    ポエムと花

    Twitterを見てると、揶揄する言葉としての【ポエム】という単語が散見されます。

    そういうのを見ると、なんかこう、引っ掛かるというか、妙に物哀しくなる。

    なんでそう感じるのかっていうと、他人事じゃないからですよね。

    僕は、今までずっと、そのポエムとやらに助けられて来ました。

    それどころか、ポエムに憧れさえ抱いて来た、当事者だからです。

    具体的に言えば、それはBUMP OF CHICKENを筆頭に、凡ゆるロックバンドの抽象的な歌詞に、心を動かされて来た人間の1人な訳です。

    真剣にポエムをつくってる人がいます

    言葉を生業にしている人が居ます。

    その延長上に、音楽の歌詞があります。

    女性シンガーソングライター、宇多田ヒカル(敬称略)を例に挙げます。

    彼女が出演していたTV番組、プロフェッショナルを見ていた時の話です。

    その時に、「3年掛かっても完成しない詩と曲がある」という話をしていました。

    これ、共感してしまいます。

    僕ごときが共感とか言うと、彼女の行動のポテンシャルを小さくしてしまうんだけど。

    何かをつくってる人って、常に未完成の何かが生活の傍にあると思うんですよ。作りかけのプラモデルみたいなヤツが。

    で、その曲は、【Ghost】という仮タイトルで、最終的には【夕凪】という曲としてリリースされています。

    彼女は曲作りの過程に於いて、仕事の時間的に一番長いところは、自宅で誰もいない状態で一人で制作している時間であるとも話しています。

    いろいろ弾いてみて、これと思ったらその感覚をたぐり寄せてというか、全く自分の中にないものやない場所に行くとか作るということはないんですよね。

    だから自分の中にあるんですけど、触れないものを取り出すみたいな。

    思い出そうとしていて、何かを。

    「いや違う、それじゃない」という感覚に一番近いです。

    出典:プロフェッショナル 仕事の流儀2018年07月16日放送/宇多田ヒカル

    これって、宇多田ヒカルのみに限らず、作詞作曲している人には該当するニュアンスだと思います。

    世の中には、真剣に言葉を紡ぎ出そうと、足掻いている人がいます。

    敢えて言うと、真剣にポエムをつくってる人がいます。

    つまり、このポエムと、そのポエムを、混同してほしくないというか、自分の中で切り離したい欲求が、この記事を綴っている動機となっているんですよね。

    ポエムが痛いっていう言い分も理解できる

    いや、確かに、言わんとしてる事はわかります。

    • 10代特有の、奇妙な自意識を見せ付けられるようで、気持ち悪い。
    • あまりに自己陶酔的な気持ちを、言葉で表現されると、人の腹わたを見てるようで、気持ち悪い。

    或いは、昔の自分の黒歴史を見てるようで、気分が悪いって人も居るでしょうね。

    つまり、無防備な自意識が、過剰に言葉に乗っかると、見てる側は置き去りにされるんでしょう。

    故に、倦厭され、敬して遠去けられる。

    自他共に痛みを伴う。そして見ている方が絶妙な恥ずかしさを伴う。それがポエム。

    あイタタタ〜。

    メンヘラに響く音と言葉がポエム

    此処で1つ、前提として断っておきたい定義があります。

    メンヘラってのは、当人の特徴でも性質でもなく、状態に過ぎないって事です。

    つまり、誰もがメンヘラになる可能性はあると考えています。

    例えば、シュガーラッシュオンラインのラルフは、完全にメンヘラってました。

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    因みに、メンヘラの定義は以下の通りです。

    「心に何かしらの問題を抱えている人」というような意味合いで用いられている通俗的な表現(インターネットスラング)。

    メンタルヘルス(精神衛生)を略して「メンヘル」と呼び、さらに英語の接尾辞 -er を加えて「メンヘルな人」という意味を加えた言い方と解釈される。

    出典:Weblio辞書

    厳密に言うと、【メンヘラー】だったって事ですね。

    例えば、安室奈美恵のフォロワーをアムラーって呼んでたみたいなニュアンスです。古いか?

    そして人は、2種類の人間に分ける事ができます。

    メンヘラの人間か、メンヘラじゃない人間か。です。

    僕は、自覚がないですけど、メンヘラでしょうね。

    何故なら、こんなブログを運営しているのだから。

    例えば、俯瞰で見れば、バンドやってる人も、バンドを見に行く人も、メンヘラ寄りの傾向があるんじゃないかという気がします。

    音楽は、ナーバスな心理状態にある程、心に接近する作用があるからです。

    哀しい時ってのは、哀しみの当事者になるんです。

    今まで何言ってるかわからなかった言葉(他人事)が、突然、自分のそばで流動を始めるのは、内側の循環の中に、言葉と音楽が、自分の一部として組み込まれるからです。

    そして音楽は、哀しみすらも一体感にしてしまうのです。

    だからその唄は、他の誰のものでもない、自分の哀しみをパスワードにして、認証される場所となる。

    つまり、その感情は、唄ごと自分のものになります。

    このプロセスに、キモいポエムと、美しいポエムの違いがあります。

    メンヘラとは【千と千尋の神隠し】でいう所のオクサレ様である

    抽象度の高い歌詞である程、「これは俺の唄だ」って、感じる事ができます。

    何故でしょうか。

    これは、メンヘラの心理状態に、唄が可変して、聴き手の穴ボコにフィットするからです。

    その時、行き場のない自分の感情のエネルギーが、暴発します。

    千と千尋の神隠しで、苦団子をくれる、名のある川の主のように。

    川に捨てられたと思われるゴミが、膿のように吹き出す。

    それ故に、「よきかな〜」(カタルシス)

    ってなるんですよ。

    つまり、メンヘラとは、オクサレ様であるって言う事もできますよね。

    メンヘラにとって、音楽は、苦団子に相当するからです。

    スタジオジブリのプロデューサーである鈴木敏夫(敬称略)が、「カオナシは、宮さん自身だ」って言ってましたけど。

    僕も含めて、どいつもこいつも、千みたいな人が必要なんでしょうね。

    棘(異物)を抜いてくれるような他人がね。

    人が欲しがるポエムと犬も食わねぇグロテスクなポエムの温度差

    さて、このようにして、人の哀しみに寄り添うポエムの数々。

    辛いカレーでも食って、やり過ごすしかないような心理状態。

    参照記事:【なんか疲れた…】って時に辛いものを食べたくなるメカニズム

    誰にも頼らず、或いは頼れず、自分でなんとかしようとして来た人程、音楽に頼る傾向にあるのではないでしょうか。

    音楽は、生きる上で、有っても無くてもいいものです。

    しかし、有った方が豊かな気持ちになれる人が居ます。僕がその1人です。

    米津玄師の曲の歌詞を、此処で言うポエムの範疇とするなら、お金を払ってでも手元に置こうとするポエムがある訳です。

    なんなら、涙する程の美しさを放ちます。

    そう、CDアルバムなら、約3000円の価値を持つポエムが存在するのです。

    彼の言葉、思想には、定価の雑誌を8倍の価値にまで引き上げてしまう、視座があります。

    参照記事:メルカリで高く売れてる音楽雑誌!米津玄師特集が定価の8倍の値段がつく現象について

    じゃあ、この人が欲しがるポエムと、犬も食わねぇグロテスクなポエムがどう違うのか。

    このポエム問題に於いてのポイントは、その温度差です。

    人の気持ちは、かろうじて同調はできても、同期はできません。

    だから、ポエムを見た側の人は、「は?」とか、「ちょっと何言ってるかわからない」っていう類の反応が生じるのです。

    例えば仮に、「その気持ちわかるよ」って言ってみたって、同じな訳が無いのです。

    少し似てるだけです。

    それでも「わかるよ」って言ってる側は、少なくとも相手に自分を投影するので、なんとかして助けようとお節介をしたり、しなかったりっていう動機に結実します。

    痛々しいポエムは全て自己陶酔の押し売り

    じゃあ、ポエムだと揶揄する人が、冷めた目線で隔てている境界線とは、何か?

    これは、そのポエムが誰の為の言葉かって事で、概ね決まります。

    少なくとも、「は?」って言う人が居るって事は、その時点で、その人の為の言葉にはなっていません。

    ポエムがキモいのは、自分の為に放った言葉を、わざわざ他人に見せたがるからです。

    自分展覧会にディスプレイした自己陶酔を、押し売りしてくるからです。

    「私の自己陶酔、5000円でーす!いかがっすか〜?」

    「買うかボケ!」

    これが、ポエムがグロくなる文脈の一脈であり、その理由です。

    この記事でも述べたけれど、はたから見てキモいか否かってのは【人の役に立つ】か、【人の役に立たない】かっていう判断基準によって棲み分けられます。

    参照記事:【オタクを再定義する】熱を上げる対象次第で人の「キモい」は決まる

    結果的に、誰かのニーズを抑えてるポエムなら、キモいポエムとは言えませんね。

    少なくとも、そのポエムに価値を感じてる人にとっては。

    という事で、この記事を綴っていて、ポエムという概念を真っ二つに分断できました。多分。

    晴れやかな気持ちで、誰かが揶揄するポエムと、自分の憧れたポエムを切り離して認識する事ができる筈。